札幌市内の広告会社で働く竹中まゆ(平山あや)。
小学3年生のときに母が卵巣がんを発症。それ以来、入退院を繰り返す母に代わって、父とともに家事をこなし、4人家族の竹中家を支えてきた。そのときからだろうか、まわりからは、“いつも弱音は吐かない、しっかりもの”と思われている。
あるときふと、胸の脇にゴロゴロしたしこりのようなものが触れるのに気がついた。まだ若いし、乳がんなんてあり得ない。20歳前後の乳がん患者は統計上0パーセント、それなのに…。「9割の確率で悪性です」医師からの容赦ない乳がんの宣告。
「先生どんなにつらい治療もがんばります。でも私、いつか好きな人の子どもを生みたいんです。その可能性だけは残してください」
それから、まゆと乳がんとの闘いが始まった。
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